東京高等裁判所 昭和55年(ネ)872号 判決
被控訴人松田春吉は、昭和四八年五月頃、本件建物の賃借人の一人である訴外小西一郎に本件土地建物の売却仲介を依頼し、訴外小西は、買手を探すかたわら、同被控訴人の依頼で、本件建物賃借人のなかの数名の者と立退交渉をはじめたが、賃借人らは、同一歩調でその交渉に応ずる態度を示し、その要求する一人当り立退料の額は五〇〇万円をくだらず、訴外小西はこれら交渉の経過を遂一、被控訴人松田春吉に報告していた。
他方、同被控訴人は、前記のように、訴外李恒鐘にも本件土地建物の売却仲介を依頼し、その仲介により控訴人との間で売買交渉が進展したが、前記のように訴外富士ビル開発株式会社に転売して利益をえようとしていた控訴人は、その旨および転買人の名称、それとの売買代金額をありのままに被控訴人松田春吉に話し、同被控訴人は、本件売買契約締結前、訴外富士ビル開発株式会社に赴いて、その真偽を確認した。
前記訴外小西の報告で、本件建物賃借人との立退交渉が必ずしも容易でなく、一人当り立退料の額も数百万円になる可能性を知っていた被控訴人松田春吉は、これを秘し、賃借人の立退は買主側の費用負担で行うことを強く希望し、控訴人に、立退は容易であり、一人当り立退料の額も一〇〇万円ないし一五〇万円位ですむ、と述べたので、この説明を信じた控訴人は、訴外富士ビル開発株式会社との売買代金金五億二、〇〇〇万円と本件売買代金四億八、〇〇〇万円の差額四、〇〇〇万円で十分立退料はまかなえたうえ利益も出る、と考えて本件売買契約を締結し、直ちに賃借人との立退交渉を開始した。
ところが、賃借人の一人で、前記のように被控訴人松田春吉から本件土地建物売却仲介の依頼を受けていた訴外小西一郎が、被控訴人らが本件土地建物を控訴人に売却したことに反発したこともあって、右立退交渉は最初から難航し、立退料要求額は昭和四八年九月下旬当時で総額一億〇、四〇〇万円、翌一〇月には総額一億〇、七八〇万円、同年一一月末には総額一億三、二〇七万円と逓増し、それより低額の立退料支払による立退は絶望視されるに至った。
以上の事実が認められ、右認定に反する≪証拠≫は、前記証拠に照らすと信用できず、ほかに右認定を覆すに足りる証拠はない。
そして、右認定事実によると、控訴人は、本件売買契約で利益を受けるどころか、立退を実現させて自己の債務を履行しようとすれば、かえって莫大な損失(前記総額一億三、二七〇万円の立退料が確定すれば、これより前記差額金四、〇〇〇万円を差引いた九、二〇七万円は、控訴人の損失となる。)を受けることになり、もしこのことが契約締結に際し判っていたら、とうてい本件売買契約の締結をしなかったであろうと思われるから、売買の動機につき、控訴人には重大な錯誤があり、この動機は、被控訴人らに示され、被控訴人らもこれをよく知っていたとみることができるから、本件売買契約における控訴人の買受の意思表示には、その要素に錯誤があり、右契約は無効といわざるをえない。
(岡垣 手代木 上杉)